コストと葛藤とコストカット

日常

手放すことにもコストがかかる。

 引っ越しに伴って、大量の粗大ゴミが出た。ベッドのマットレスから始まり、洗濯機、電子レンジ、物干し竿、洗濯ラックなど、普通に生活していたら中々捨てる機会のないもの達を捨てることになった。

 自治体の粗大ゴミ回収では日程的に間に合わなかったので、民間の不用品回収業者に頼む。だが、見積もりを見て目が飛び出る(比喩)。全て合わせて6万6千円、だというのだ。目の前が真っ暗になる(主観的体験)。引っ越し費用より高い。

 結局色々な業者の相見積もりをとり、交渉を重ね、2万円代まで下がったところで手を打った(慣用句)。それでも驚くほど高い。自治体にお願いしたら7~8千円程度だったはずだ。

 「そんなにお金がかかるなら、もう捨てないもん。いいもん。」と拗ねてみたくなるところだが、持ち続けているわけにもいかないので、清水の舞台から飛び降りるつもりで(ことわざ)、ええいままよとお金を支払う。

 何かを手に入れるためにコストを支払う。これはとても自然なことだし、慣れ親しんでいる。だが、それを保持し続けることにもコストがかかるし、それを捨てる時にはさらにコストがかかる。そのことを私達は忘れがちである。

 人間の思考の癖や信念も似たところがある。私達は様々な経験の中から独自の信念を作り上げる。それはこの世界を生きていく上での重要な指針になる。だが、環境の変化によって、その指針が古くなったり、現状にそぐわなくなる事がある。その時には、今ある信念を一度手放し、新しい、より適応的な信念を手に入れる必要がある。

 今ある信念を手放すことは容易ではない。変化は危機だ。新しい信念が通用するだろうか、以前までの信念の方が生きやすいのではないか、傷付かなくて済むのではないか。様々な不安や葛藤が生じる。それが、古い信念を手放す際のコストである。

 結果として「そんなにコストがかかるなら、もう手放さないもん。いいもん」と拗ねてみたくなる。だが、不適応的な信念を持ち続けるのにもコストがかかる。持ち続けるわけにもいかないので、どこかで修正を迫られる。

 手放すことにもコストがかかる。このことをあらかじめ認識しておきたい。そうすれば、新しい信念を獲得するために、古い信念を捨てる勇気が湧く。

  肉を切らせて骨を断つ、ということなのだろう(ことわざ、の誤用)

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