電車に乗る。秋の穏やかな夕日が窓から差し込み、手元にひらいた小説の文字が心地よく光る。気持ちが良いけれど、どこか寂しさを感じるような、昼と夜の間をつなぐ繊細な時間だ。そんな贅沢なひとときは、乗り込んできた10人前後の男子高校生の集団によってあっけなく壊れる。
おそらく運動部であろう。皆一様に短髪で日に焼けている。ガヤガヤと楽しそうに盛り上がっている。運動部の上下関係は厳しい。30秒もながめていれば誰が先輩で誰が後輩か、なんとなくわかる。後輩はヘコヘコしているし、先輩は横柄な態度をとる。
私も体育会系の部活で育ったが、今思うと学生時代の上下関係は異常だ。精々1~2年の差しかない筈だが、先輩のもつ権力は大きい。先輩はタメ口なのに、こちらは必ず敬語を使わなくてはならないのだ。場合によっては荷物持ちをさせられたり、暴言を吐かれたりすることもある。教員も先輩にはジャッジが甘い。同級生同士であればいじめになるようなことでも、先輩後輩の関係であれば3割引で大目に見ている。気がする。
上下関係で思い出すのは、精神科医の小倉清先生とお話をした時のことだ。小倉先生と言えば、精神分析の世界では言わずと知れたレジェンド妖怪(敬意)の1人である。よくわからない方の為に、ONE PIECE で例えると、双子岬でクジラのラブーンと一緒にいるクロッカスさんくらい、すごい先生である(敬意)。とにかく、私のような若輩の心理士からしたら伝説の大先生なのである。
そんな小倉先生と、とある研修の懇親会でお話をする機会があった。小倉先生は何処の馬の骨かもわからない私に対して、とても丁寧だった。じっくり話を聞き、程度の低い質問にも真摯に答えてくれた。私だけではない、小倉先生は患者に対しても常に対等に接する。それは子ども達にもそうだ。就学前の幼児であっても「あなたはどうですか」と敬語で問いかける。対等だ。
「小倉先生は何故そんなに対等に接するのでしょうか?先生にとって対等とはなんでしょうか?」
思わず私はそんなことを聞いてみてしまった。先生は真剣に私の目を見ながら答えてくれた。「どんな人であっても、どんなに小さなお子さんだとしても、この大変な世界を共に生きている仲間という意味では、みんな同じだと思う。」先生のこの言葉の意味を、私はまだ完全には理解できていないと思う。だが、先生の人間に対する敬意を感じる。だからこそ患者や臨床家は先生を尊敬し、先生との関係性の中で何かを得ていくのだろうと思う。
夕日に照らされる高校生の集団をみながら、そんなことを思い出していた。先輩に対する礼儀を学ぶことは大切だ。敬意を持つ必要もある。だが、先輩が後輩を大切にする、年下であっても敬意を持って接する。そういったことも学校の中で学ぶことができれば、もう少し互いが尊重し合える世界になっていくのではないか。そんなスケールの大きな未来のことを考えてしまうのは、衆議院選挙が迫っているからだろうか。みんな投票に行こう、という説教臭い結びの言葉。
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