認知的不協和とひげ脱毛

心理学

 私はひげ剃りが苦手だ。1日の始まりである神聖な朝に、顔に刃物を突き立て、ひげと戦わなくてはならない。毎日だ。負ければ容赦なく皮膚を裂かれ、血が滲むのである。戦の日々にうんざりした私に、彗星の如く現れた救世主こそ、ひげの永久脱毛だ。永久脱毛さえあれば、あの悲しい戦争は二度と起きない。憎しみの連鎖に終止符を打つ事ができる。身体的にも経済的にも大きな痛みを伴うが、恒久平和のためにはやむを得ない。あの悲惨な世界大戦の後に平和憲法が生まれたように、ひげ脱毛から朝の平和が生まれるのだ。

 しかし甘かった。いざ施術を受けてみると、これはかなり痛い。バチン!と感情の通わない音が鳴り、顔に激痛が走る。何かの冗談ではないか、と思うほどに痛い。ひげの焦げるような匂いがし、さらに恐怖が増してくる。恒久平和どころではない。地上戦が始まってしまった。バチン!バチン!白旗を振るう腕が痺れてきた頃に、ようやく施術は終わる。終戦だ。戦争によって理不尽に平穏を奪われた人々に思いを馳せ、目からは自然に涙が溢れる。痛みで泣いていたわけではない。痛みで泣いていたわけではない。

 何はともあれ、これでようやくひげ剃りから卒業だ、というのもまだ甘い。ひげはとてもしぶといので、一度の施術では終わらない。完全にひげを失くすには数年かけて10回以上通わなければならないようだ。これが苦しい。何度か通い、数多の地上戦を生き抜いてきたが、次第に「私は一体何をやっているのだ」という思いが広がり、我を失いかける。高いお金を払ってわざわざ痛い思いをしているのだ。どうかしている。無力感だ。もう通わなくてもいいのではないか。通う時間を別のことに使えないだろうか。脱毛の代わりに花の種を植えれば世界はもう一度緑に溢れるのではないか。

 社会心理学の領域で、『認知的不協和理論』という理論がある。2つの相互に関連する認知(物事の捉え方、考え方)に矛盾や不一致がある状態を、認知的不協和状態という。簡単にいうと、自分の中に相反する二つの考えがあり、自己矛盾が生じている状態のことである。私の場合でいうと「ひげ脱毛はとても痛い上に成果が見えない」という認知と「高いお金を払ってでも頻繁にひげ脱毛に通いたい」という認知が相反しており、矛盾している。こうした認知的不協和状態はとても不快な状態である。人は認知的不協和状態に陥ると、強引に認知を修正して不快な状態から抜け出そうということが研究で明らかになっている。これが『認知的不協和理論』である。

 私はこの認知的不協和状態の不快感から逃れるために「高いお金を払ってでも脱毛に通いたい」という認知を強引に修正し「他のことに時間を使おう。だからもう通わなくてもいい。」と考えることにしていた。そうすることで「ひげ脱毛は非常に痛い上に成果が見えない」という認知との矛盾を失くしてバランスを取ろうとしていた。これは無意識の働きである。身も蓋も無い言い方をすると、あまりの痛みに心が折れていた、ということであるが、心理学的に見るとこうした心の動きがあったと考えられる。

 しかし冷静に考えてみたい。長期的に見ればひげの永久脱毛ができれば、朝の戦争がなくなるという大きな成果が得られる。あまりに長期的な目標は現実の生々しい苦痛の前では霞んでしまう。何かに心が折れてしまった時は、諦める決断をする前に、もう一度自身の心の動きを冷静に振り返って見て欲しい。そして見失っている長期的な目標・成果を思い出して欲しい。現在感じている苦痛と長期的な目標・成果とを天秤にかけてみると、新しい視点が生まれるかもしれない。

 バチン!バチン!と無慈悲な音を聞きながら、そんなことを考えていたら今回の施術も終わっていた。あぁそうだ。私は恒久平和のために戦っていたのだ。それを思い出すと不思議とパワーが湧いてくる。爽やかな顔で涙を拭い、次回の予約をして戦地を去る。痛い。

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