理不尽な喪失

日常

 電車の中にヒラリヒラリと蛾が1匹。何処からか乗り込んできたようだ。乗客達は、無賃乗車をしていることが許せないのか、蛾からは距離を取り、近寄ってくると追い払ったりしていた。蛾はヒラリヒラリと電球の周りを飛び回っては、時折乗客に近づき、手で払われ、また電球に近づく。この繰り返しである。

 悲しい。この蛾はどうなってしまうのか、そう思うととても悲しい。生活していた場所から、共に生きていた仲間から、理不尽に引き剥がされ、もはや元の場所には戻れない。新しい場所が快適かと言えばそうではない。乗客からは忌み嫌われている。そんな蛾の、この先のことを案じると胸が痛む。悲しい。電車という大きな力に飲み込まれると、1匹の蛾は何とも無力である。

 私たちにとっても他人事ではない。大きな力に飲み込まれると、個人の思いや気持ちは蔑ろにされる。無力である。そう遠くはない歴史を振り返っても、戦争や自然災害など、理不尽で大きな力によって個人の思いは潰されてきた。最近だと新型コロナウイルスもそうだ。様々な思いが無慈悲に打ち砕かれた。それはとても理不尽だし、悲しい。

 しかし、それでも蛾は最後まで懸命に生きる。私たちにできることもそう変わらない。懸命に生きるしかない。そんな、懸命に生きる人たちの小さな思いに耳を傾け、そっと寄り添えるような支援ができたらなぁと、常々思っている。

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