ムンクの「叫び」を茶化すんじゃない
そう憤りながら美術館を出たのを強烈に覚えている。
もう4年も前のことだ。東京でムンク展が開催された。あの有名な「叫び」が来日したと聞いて、軽い気持ちで観に行った。ムンクの苦悩に満ちた生涯を辿りながら、その作品を見ていくと胸が締め付けられるような思いだった。そして「叫び」を見た時、目にじんわり涙が浮かぶほど心が揺さぶられた。コントロールできないほどの不安や恐怖と必死に戦う男性の絵だ。苦しい。
ミュージアムショップで数千円もする目録を買ってしまうほどに感動していた。だが、ショップには他に大量のムンクの「叫び」グッズが並んでいた。今回の展示会の名物なので仕方ない部分もあるが、「叫び」のパロディがたくさんあった。湖池屋とのコラボでは、「ムーチョの叫び」という商品名で、カラムーチョのおばあちゃんがムンクの叫びのポーズでヒーヒー言っている。
ムンクの「叫び」を茶化すんじゃない。と腹が立った。どんな思いでムンクがこの絵を描いたのか。そのことを思うと、とても茶化していいものではない。馬鹿でかい目録を小脇に抱え、鼻息荒く、いそいそと美術館を出たのである。
児童養護施設の職員さんから、子どもの話を面白おかしく話された時に、同じような気持ちになることがある。
例えば、中学生の男の子がおやつを食べ損ねた話。中3男子が、おやつの焼きプリンを楽しみにしていた。ところが、小学校低学年の女の子が彼のプリンを誤って落としてしまった。プリンを食べ損ねた彼がさめざめと泣いていたという話だ。
「中3男子がプリン1つで泣くなんて」職員さんは笑いながら話した。私も仕事上「ハハ」と愛想で笑ってはいたものの、心の中では『人の涙を茶化すんじゃない』と腹が立っていた。
彼はどんな思いだったろうか。彼の焼きプリンへの思い、それが理不尽に消えてしまった喪失感、「たかだかプリン1つで」という周囲の視線。どれだけ傷ついたことだろうか。過去の喪失体験も呼び覚まされたかもしれない。悲しい。茶化していいことじゃない。
洒落にならない、ということがある。人の気持ちは繊細で尊いものだと思う。だからこそ大切にしたい。その大切さを伝えていくのも心理士の役割かもしれない。愛想笑いをしている場合ではなかったと、今ではすっかり反省している。
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