プリンセス転居

日常

引っ越しをすることになった。

 引っ越しというのはすごいエネルギーだ。家にあるものを全て他の場所に移動させる。特に今回の引っ越しは、今よりいくらか狭い部屋になるので捨てるものも多い。喪失感が伴う。

 自分の物がそこにあるということに、私は自分の居場所を感じる。今の家は賃貸だが、部屋の中にあるのは全て私の物だ。私の物がたくさん置いてあるこの部屋が、この街が、私の居場所なのだ。それがなくなることがなんとも心細いのである。

 もちろん、新しい場所が私の居場所になるのだが、荷物は随分と減ってスリムになる。身軽になるのは良いことだが、地に足がつかないような、妙に落ちつかない感覚もある。

 職場の私のデスクも、当然私の物で溢れている。誰が買うんだ、というようなダサい置物を周囲に置く時、私は私の居場所を感じるのである。自分の好きなものに囲まれている感覚がどうにも心地良い。安全な世界に守られるのだ。

 私の場合は物にこだわり、安心感を得る。自閉症の子どものこだわり行動も、同じように安心感を得る手段なのではないか、と私は思っている。毎日同じ服装にこだわる子。同じ食べ物にこだわる子。同じ感覚にこだわる子。自分の世界は安全だ。変化してしまうのは怖い。必死に自分の世界を守っているのだ。と思う。

 極論を言えば、人類皆そうだ。予測できない事ばかりな世の中で、自分なりの方法で安心感を得ている。大切なのはその方法を自覚する事だ。自分がどのような方法で安心できるかを理解しておく。不安な状態になった時に、意識的に安心感を得られると良い。それが、社会に適応的な形で行えるように柔軟にアレンジできるとなお良い。

 物にこだわる私にとって、引っ越しというのは大きなエネルギーのいる作業だ。涙を飲みながら一つ一つのものにお別れを告げている途中である。やむなく物とお別れする時には、私は写真にとって形を残しておく。それが物へのこだわりを適応的な形にする方略である。

 みなさんのこだわりはなんだろうか。それを社会の中で適応的に満たす方略はなんだろうか。ぜひ知りたい。

  

 

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