きのこの山、たけのこの里、きよしこの夜

日常

たけのこの里が好きだ。

 きのこの山か、たけのこの里か。そんな100万回はこすられ続けた議論を、わざわざクリスマスにする必要があるだろうか。いや、ない。

 私はたけのこの里が好きだ。理由は美味しいから。もっと言うと、きのこの山は、たけのこの里には勝てない。理由はたけのこの里の方が美味しいから。

 窒素のような文章を書いてしまった。何も書いていないのと同じだ。もう少し考えてみる。

 「たけのこ」は竹の子どもだ。いつまでも親の名前に頼るな、という感じではあるが、実際に竹の子どもなのだから仕方がない。だが「きのこ」はどうだ。木の子ども、ではない。植物ではなく菌類だ。よく樹木に寄生しているから「きのこ」と呼ばれているらしい。種族さえ偽っている。インチキではないか。これは「たけのこ」の勝ちかもしれない。

 だが、「きのこ」の気持ちもわかる。親が誰かもわからない中で、必死に育ってきた。ずっとそばで支えてくれた「木」のことを親のように慕っている。生みの親より育ての親。「きのこ」と名乗る彼らを誰が責められるだろうか。「きのこ」に勝たせてあげたい。

 情に流されそうだがちょっと待ってほしい。「きのこ」は地面にも生える。落ち葉にも、昆虫にも生える。植物ではなくて菌なのだ。昆虫から生えているのに「きのこ」。生やさせてくれた昆虫に失礼ではないだろうか。「たけのこ」の勝ちだ。 

 情に振り回されそうだが、もうちょっと待ってほしい。そもそも、「きのこ」と「たけのこ」で比べているが、両者の違いはそれだけではない。きのこは「山」で、たけのこは「里」だ。「山」は、何だ。「山」は「山」だ。「里」はなんだ。辞書を引いてみると「里」は「山中などで人家が集まって小集落をなしている所」とある。

 「山」の中に「里」がある。「山」は「里」の包括概念と言っても良い。「山」対「里」は「山」の圧勝であろう。

 「きのこの山」対「たけのこの里」。木の子どもではないのに「木」の名前をかり、「里」を包括する強大な「山」を味方につけている「きのこ」の狡猾さが光る。「たけのこの里」は「きのこの山」に例え負けたとしても胸を張って良い。

 以上、全てのことを勘案した最終的な結論としては、

「たけのこの里」の勝ちである。理由は美味しいから。

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