オーダー冥土の土産

心理療法について

 お土産が好きだ。

 人からもらうのも嬉しいが、自分で自分に買うお土産が好きだ。形に残る物がいい。

 観光地の土産物屋に並ぶダサいキーホルダー、謎の置物、無駄にでかいマグネット。「誰が買うんだこんな物」と一度は思ったことがあるかもしれない。その「誰が」に答えたい。私だ。

 物には思い出が宿る。と私は思っている。楽しい旅やイベントもいつかは終わる。それがとても寂しい。もちろん、終わってしまっても記憶には残る。記憶には残るが、私たちの日常は情報に溢れている。新しい記憶が次々に生み出され、普段使わない記憶は容赦なく奥に押し込まれる。そしてどこにしまったかわからなくなってしまう。それが寂しい。

 私にとってお土産は記憶のブックマークのような物だ。本棚の上に置かれた謎のドラゴンのモニュメントを見れば、壮大な中国の旅を思い出すし、旅館の名前入りのタオルを見れば、仲間との楽しい温泉旅行を思い出す。旅館のタオルがお土産かどうかは議論が分かれるところであるが。

 思い出を形に残しておきたい、その思いで人々はダサいキーホルダーや用途不明のタペストリーを買うのだと思う。

 以前の職場でプレイセラピー(遊びを通して行う心理療法)をしていた時、小学校低学年の男の子がプレイルームのおもちゃを家に持って帰ったことがある。それは丁度、私の異動が決まり、2ヶ月後にお別れになることを伝えた後だった。おもちゃがないことを彼に伝えるが、彼は「知らない」の一点張り。お別れを前に少し気まずい雰囲気になってしまった。

 その後のセラピーでは粘土で作品を作ることにした。何回かのセッションを使って2人で一つの作品を作った。彼はそれを持って帰りたいと言い、私は最後の日に渡すことにした。最後のお別れの日、彼はプレイルームのおもちゃを家から持ってきて、私に返してくれた。

 作品を持って帰らせたことが良かったか悪かったか、それは別の機会に考えるとして。彼はおもちゃが欲しかったのではなく、セラピーの中で共に過ごした時間を持ち帰りたかったのだろうなと思う。形に残しておかないと不安だったのだろう。そのことを言語化して取り扱ってあげればよかったと今では思う。

 物には思い出が宿る。私はお土産が好きだ。もっと言うとお土産を買っていく人達を見るのも好きだ。この人たちはどんな思い出を、あのコケシに込めるのだろうか、そう思って眺めてしまう。ここまで言うとちょっと変な人だと思われる恐れがあるので、ここまでにしておく。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました