米騒動とメンタライジング

日常

 どうしても思った通りにならない。人生そんなもんだ、なんて簡単には諦められないものである。

 ジュワ~ン。調味料と食材が熱々のフライパンの上で混ざり合う音がする。それぞれの下ごしらえを乗り越え、一堂に会する、熱い展開だ。料理をしていて一番気持ちの良い瞬間と言っても良い。ジュワ~ンと炒めて、颯爽とお皿に盛り付ける。あとは炊き立ての白米を茶碗に持ったら、ミッションコンプリートである。

 そう思って炊飯器を開けると、お米が研がれたままの姿で横たわっていた。

 まずは怒りが湧いてくる。お米に対してだ。皆が懸命に調理されていた中、彼らはぬるま湯に浸かってただゴロゴロとしていたのである。白米と一緒になるために力を合わせて頑張っていたチンジャオロースさんの気持ちを考えると腹がたった。瞬間的な怒りが落ち着くと、次は悲しみがやってくる。お米のせいにしていたけれど、炊飯ボタンを押し忘れたのは私なのだ。どう考えても私が悪い。おかずがあるのにご飯がない。悲しい。お米さんも辛い。必死に白米になろうとしたのに、炊飯器の中で放置されていたお米さん達の気持ちを思うとより悲しい。気がついてあげられなくて申し訳ない。

 思い通りにならない、期待していた通りにならない。怒りや悲しみが湧いてくる。

 心理士の仕事として、コンサルテーションというものがある。簡単にいうと、様々な専門職の方に心理の専門職として助言することである。「あの子は思い通りにならないとすぐ怒り出すんです。なんとかしてください。」コンサルテーションの中で、とある保育士さんから言われたことがある。

 思い通りに行かないとなると、それは怒りたくもなるだろうなぁ。などと思いながら聞いていると、それがうっかり伝わってしまったのか、保育士さんの語気が荒くなる。「なんでも思い通りにならないからって、怒られても困るんです!」と。

 相当色々な気持ちが溜まっているようだ。思い通りにならないことは腹が立つし悲しい。現にこの保育士さんも、結局は子どもが思い通りにならないことに怒っているのだ。勿論そんなことを言ってもしょうがないので、保育士さんの気持ちを受け止め、子どもの詳細な様子を聞き、一緒に対応を考えた。

 思い通りに行かないことは悲しい。腹が立つ。そこに善い悪いもなく、ただ自然な感情である。大切なのはそうした感情がそこにあるということを、まずは立ち止まって感じることだと思う。1人では苦しい。誰かがそっと寄り添って、悲しみや怒りを一緒に感じられると良い。

 思い通りにならずに怒っている子に対しては、〈それは腹が立ったね〉〈悲しかったね〉とまずは気持ちに焦点をあてて受け止めてあげられたらと思う。私は白米が炊けていなかったことを色々な友人に話した。そして気持ちを受け止めてもらえた。落ち着いたところで、ストックしてあった冷凍のご飯を食べることで難を逃れることができた。

 気持ちが落ち着けば自ずと解決策は見えてくる。少し冷めたおかずと熱々の白米を食べながら、そんなことを思う。寒すぎる秋。

コメント

タイトルとURLをコピーしました