「牛乳ってどんな味?」
小3の男の子からの質問だ。答えに窮する。飲んだらわかるよ、という言葉が喉元まで出てくるが、慌てて飲み込む。この子は乳製品のアレルギーなのだ。飲むことはできない。何とか言葉で伝えられないか。
牛乳の味ってどんな味だ。牛乳の味っていうのは、ミルクみたいな感じだ。ミルクはダメか。ミルクはだめだ。えっと。牛乳。牛乳。牛肉の味、とは似ていない。違う。チーズ?チーズ!チーズの発酵する前の感じで。あ、チーズも食べられないのか。ヨーグルトもダメだ。牛乳。ってどんな味?
「パス」 早々に白旗をあげる。牛乳のような真っ白な旗だ。
私が頭を抱えていると、子ども達がわらわらと集まってくる。3人よればもんじゅの知恵である。皆で考える。「豆乳みたいな感じ!」1人の子どもが言う。豆乳。それだ。豆乳なら飲めるはずである。「だけど、豆乳と味は全然違くない?」横から別の子どもが口を出す。「そうかー」議論は振り出しに戻る。
「でもさ、喉越しは豆乳だよね」「確かに!」新しい発見がある。確かに喉越しは豆乳と同じだ。さすがもんじゅの知恵である。『牛乳の喉越し』という新しい概念をいとも容易く構築する。
最終的には『牛乳の匂いを嗅ぎながら豆乳を飲む』というアイデアがグランプリを受賞した。子どもの発想の柔らかさには頭が下がる思いである。
質問を投げかけた男の子も嬉しそうだ。彼が嬉しかったのは、答えが出たことではおそらくない。多くの仲間が、職員が、一緒になって真剣に考えていたこの時間が、彼にとっては嬉しかったのだろうと思う。
子ども達は生活場面でこうした体験を日々たくさん繰り返している。面接室での面接では見られない彼らの人生の貴重なワンシーンを、こうして見守ることができる今の仕事を、私はわりと気に入っている。
「ヨーグルトってどんな味?」彼の次の質問は聞こえないふりをしてその場を去る。喉越しはババロアである。
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