奇怪な機械と会う機会

日常

 例えば深夜の交差点。歩行者用の信号は赤。とはいえ、ジョナサンも閉店しているような時間である、車通りは一切ない。こんな時、あなたはどうするだろうか。

 もしかしたら多くの人が赤信号でも左右の安全を確認して渡るかもしれない。私はそれが何とも居心地悪い。信号が青になるまで無駄に待ってしまう。といってもそれは規範意識ではない。

 信号は我々の安全を守ってくれている。日中は散々お世話になっているのだ。深夜になり、必要なくなったからといって、無視をするのは如何なものか。何だか義理人情に欠けるような気がしてしまう。信号に申し訳ない、とそう思ってしまうのだ。機械にも気を使ってしまう。

 人間社会はストレスでいっぱいだ。機械にまで気を使っていたら身がもたないよ、笑われることもある。確かにそうだ。確かにそうだが、気を使ってしまう。それに、人工知能の発展が目覚しい昨今である。私だけでなく、あなたもわたしも、みんなも社長さんも、機械に気を使う日が来るかもしれない。

 例えばロボット掃除機のルンバ。留守の間に自宅を掃除してくれる、便利で可愛らしいペットのような存在である。だがもし、人工知能が搭載され、言語を話すようになったら、気を使ってしまうかもしれない。毎日大変そうに掃除をされたら、「たまには休んでいいよ」とオイルでも変えながら、自力でウィンウィンと掃除機をかけてしまうかもしれない。本末転倒だ。

 例えば食洗機。人工知能で心を持つようになったら、毎日お皿ばっかり洗わせて、食洗機さんに申し訳ない。「今日くらい休んで」と代わりにお皿を洗ってあげたくなる。ロクシタンのハンドクリームを塗り込んでやるかもしれない。

 例えばテレビ。人工知能で人の表情を読むようになったら大変だ。折角放映してくれているのだから、ながら見をするのは申し訳ない。テレビの前に正座し、真剣に見つめないといけなくなる。あまり面白くない場面でも「フフッ」と愛想笑いしてしまうかも知れない。

 機械はどんどん便利になる。そこに心がない、ということが機械の強みかもしれない。だが、便利になるにつれて、人間に近づいているようにも思える。心を持ち始めている。心と心が出会う時、関係性が生まれる。関係性には良い面もあれば悪い面もある。今後は機械とストレスなく付き合っていくスキルも求められるかもしれない。

 その時に心理士として果たす役割は大きい。かもしれない。

 

 

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