大谷ショータイム

日常

 大谷翔平がホームランを打つ。会場が沸く。翔平がベースを一つ一つ踏みしめながらホームに戻ってくる。興奮したチームメイトがハイタッチを求める。実況者の興奮した声が聞こえる。そしてまた、翔平がホームランを打つ。会場が沸く。もう30分程経っただろうか、ずっとこの繰り返しだ。

 本日BSで放送されていた『大谷翔平 全本塁打46本一挙放送』である。46本のホームランをひたすら繰り返し放映するという、なかなかクレイジー(良い意味で)な放送だ。ファンにはたまらない時間だろう。私は特別野球が好きなわけでもない。にも関わらず、ぼーっと最後まで見ている。私が一番クレイジー(悪い意味で)だったと思う。

 何度も見ていると、次第に翔平がベースを回るのが煩わしく思えてくる。どうせホームランなのだから、わざわざ回る必要があるのだろうか。『あと15本もあるのだから、早くホームに戻ってきてくれ』そんな思いで頭がいっぱいになり、視聴の仕方を間違えていることに気がつく。

 しかし実際、ホームランの時にベースを回る必要があるのだろうか。選手もいたずらに体力が削られるし、時間も間延びする。延長戦で見たいドラマが延期するくらいなら、ホームランを短縮できないものか。そこまで厳密にやらねばならないのか。

 「そこまで厳密にやらなきゃいけないんですか?」

 心理士という仕事も、このように他職種の人から思われているかもしれない。心理士は枠組みや構造に細かい。

 例えば心理面接の時間はあらかじめキッチリ決まっていることが多い。クライエント(相談に訪れた人)が早く来たからといって、早く始めることはしない。遅く来たからといって、時間を伸ばすこともない。そこまで厳密に時間を守る必要があるのか、と問われれば、「ある」のである。枠の重要性を論じると長くなってしまうのでここでは割愛するが、時間の枠を守るということは心理士とクライエントを、またその関係性を守る意味でもとても大切なことだ。

 (クライエントに面接の動機付けがない場合など、枠を守ることに拘らないこともある。)

 外野から見れば合理性にかけるように見えることも、実際には大切な意味が込められていることがある。翔平がベースを回ることにもきっと何か大切な意味があるのだろう。そんなことをぼーっと考えていると、46本目のホームランが終わった。

 長かった。安心したような少し寂しいような思いでいると、続いて『大谷翔平 全奪三振一挙放送』が始まった。頭がバグってきた。さっきまでボールを打っていた人がボールを投げている。しかも三振を奪っていく。これではまるで二刀流ではないか。と思ったけれど既にそう呼ばれているらしい。未だにぼーっと見続けている私はクレイジーかもしれない(良し悪しの判断は委ねる)。

 

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