「恥の多い生涯を送ってきました」
太宰治の人間失格。その有名な冒頭である。
恥、というのはできるだけ避けて生きていきたいのだけれど、そう上手くはいかないものである。会議でプレゼンをすれば『あの発言は余計だったな、、」と頭を抱え、飲み会に参加すれば『浮かれすぎた、、』と脳内反省会を開く。日々の生活は恥の歴史である。
恥の瞬間も辛いが、思い出すことも辛い。帰り道に思い出すと、いてもたってもいられず妙に早歩きになってみたりする。シャワーを浴びている時に思い出すと、「あぁー」と無駄に声を出してみたりして、そのことで更に恥ずかしくなる。恥の上塗りである。
太宰治は入浴中に恥の記憶を思い出すと「さて、」と言って気持ちを切り替えるそうだ。「さて、」。こういう人間味に溢れたエピソードはとても興味深い。
恥の感情に呑み込まれるのはとても辛い。ここで私が恥から立ち直るためのいくつかの工夫を紹介したい。急にライフハック系のブログにありがちな記事のようになってきた。謎の外国人の写真なんかを挿入したい。
①どうせ誰も気にしていないと考える。
これに尽きる。どうせ誰も気にしていない。自分が思っているほど他者は自分に興味がない。自分が気にしている恥ずかしかったことなんて、誰も気になんかしていないのだ。そう自分に言い聞かせる。
②自分は最善を尽くしたと考える。
恥をかいた自分、それが現実なのだ。その時の自分は最善を尽くしていたはずだ。それでも上手くいかなかったのだから、それが自分の実力だ。それを引き受け、次の為に出来ることを考える。そう自分に言い聞かせる。
③自分を慰める
恥をかいた自分はおそらく傷ついている。「〇〇だったから傷ついたんだ」と自分の気持ちを見つめてみる。自分で自分をわかってあげるだけで、いくらかマシである。そう自分い言い聞かせる。
④寝る
恥にこだわって切り替えられない時、おそらく人は疲れている。寝ること。脳を休ませること。次の日にはだいぶ和らいでいるはずである。
今思いつく対策はこんなところだ。他にも良いアイデアがあれば教えて欲しい。
そして、ライフハック系ブログのようになってしまったことが、恥ずかしくなってきた。もう少し臨床心理士っぽいブログが書けないものだろうか。読み返すことも恥ずかしい。
さて、
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